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ノブレス・オブリージュ② 文武不岐


封建時代においては、武士は単なる闘う集団ではなく、国家や藩を治めていく支配階級でもありました。そのためには武術が強いだけではなく、学問を修め、教養を深め、政治や経済などの運営もしていかなくてはなりません。人材を育て、人々に温かい手を差し伸べられる心を持った人格者、指導者でなくてはなりませんでした。

そのような歴史的背景もあり、学問と教養がなければ武の道も成り立たない、武道と学問の道は分かつことができないということで『文武不岐』という言葉も生まれたのでしょう。(※)

十二騎神道流は両総の地を治めた或る武家一門に伝えられてきた古武術であり、道着の左袖に刺し抜かれた流派の紋(マーク)は、まさに藩を治め民を率いていかねばならぬ使命を有していた由緒正しき武家の家紋です。

ひとたび戦となれば、領地と民を守るために 武士は命を懸けて闘います。ですが、宗家がいつもおっしゃるように、「潔く死ぬのが武士道ではない※※「武士は(本来)(仕事をするために)生きて帰らなければならない」ものでもあるのです。(神道流の技はその為の~戦場から生きて帰る為の~技術です)

民を率いる武士には、生きて帰ってその学識と教養で民を教導し、人々の生活を向上させる義務と責任がありますから(※※※)、民の先導役たる武士が死んでしまえば、民はたちまち生活に窮してしまいます。

武士として、戦事の際に生きて帰れるだけの武の腕前を磨くのは当然の事、果たすべき平時の義務がある限り、自分を律し、学を修め 教養を磨き、リーダーとして責任を持って仕事をする。

時代が変わっても、この家紋を戴く流派の一員として、門下生にはこのあり方を是非とも心に留めておいてもらいたいものです。

宗家が古武道の技とともに伝えたい、人としての在り方。

宗家が指導者におっしゃる「出し惜しみしない誠意」や「他者への思いやり」

そういったものもすべてこういった武士としての矜持の延長線上にあるものです。

 

(※)到知出版社『到知』2018年6月号より、日本居合道協会会長の髙田學道さんのお言葉を拝借いたしました

(※※)「戦場に駆け入りて討死するは、いとやすき業(わざ)にて、いかなる無下(むげ)の者にてもなしえられるべし。生くべき時は生き、死すべき時のみ死するを真の勇とはいうなり」~徳川(水戸)光圀~

(※※※)

例えば、財政難に陥っていた米沢藩を立て直した名君 上杉鷹山は、植物学者を集めて藩内の野山の植物で食べられるもの、食べられないものを分類した図録を作成し、領民に知らしめることもしています。天保の大飢饉の時、藩内から一人の餓死者も出さなかったのは、こういった危機管理の取り組みが功を奏したからに他なりません。

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